種を採る
おかげさまで12月13日に「蒜山耕藝の食卓 くど」の1周年を迎えることができました。
思い返せば去年の同じ日は日中の最高気温が0度しか無く、オープン前に駐車場の雪かきをしていました。
メニューも飲み物とお餅しか無くて、それでもお客様が来てくださって、、、なんだか懐かしい。
1年なんてあっという間ですね。
そんな1周年を迎えての定食メニューは近くの在来野菜である「土居分小菜」を使いました。
くどの定食の内容はいつも畑に合わせて直前に決めるので特に考えがあって土居分小菜を選んだわけではありませんが、「今日で1周年だ」って気づいたらなんだか妙に感慨深くなってしまいました。
そして今月の5、6日には吉祥寺で開催された「種市」に参加してきました。
たくさんのお客様とお話したり、「男たちのタネ会議」というトークに参加させてもらうことで「タネ」という観点から自分達の今の立ち位置やこれからの道筋など非常にたくさんのことを考えることができました。
種市を経ての、くど1周年の日のメニューが土居分小菜を使った定食だったこと。
そのことが僕の中で大切に感じていたことを少しだけ言葉にできるような気にさせてくれたので少し書いてみます。
そもそも土居分小菜というのは今は湯原ダムに沈んでしまった土居分という集落で栽培されていた小松菜のような菜っ葉です。
耐寒性が強く、雪の下に埋もれても雪解け後には再び元気に復活してくれます。
葉や茎が柔らかい時はお浸しにしたり、炒めても煮ても美味しく食べられます。
寒さが厳しくなったら漬物に、春には菜の花を摘んで食べます。
こうして書いてみると普通の菜っ葉とあまり変わらないものですね。
でも育ててみるとやっぱり土地と馴染んでいるのか他の菜っ葉よりもずっと生育がいいんです。
それは土居分小菜も楽だし、それをつくって食べる人間だって楽なのです。
そんな土居分小菜の種を譲って頂いてから今年で5回目の栽培です。
毎年種採りをしているので4回種を採ったことになります。
その結果、だいぶバラけてきてしまいました。
原因は交雑か母本選抜のどちかかですが、母本選抜がしっかりできていないことが大きいでしょう。
地の菜は販売している種よりも姿、形の多様性が高いことが大きいことを自分は軽視していました。
成長の良いエリアの株を残して採るだけでは不十分だったいうこと。
そもそもほとんど資料の残っていない土居分小菜の母本選抜は何を基準にしたらいいかさえわからなかったのです。
今考えたら種を譲ってくれた方の畑に確認に行けば良かっただけのことなのに。
ちょっと話が脱線しました。
在来種に限らず、種を採るということを自分の中でどう位置付けられているのか。
言うまでもなく、種を採るというのは種を蒔くことから始まります。
土居分小菜だったら9月に種を蒔いて、芽が出たら間引きが始まり、本葉が大きくなりだしたら食卓に上ってきます。
本葉が4枚から6枚目くらいの時は柔らかくて香りも良くてほんとに美味しい。
それより大きくなったら独特の味わいも強くなってくるのでしっかり火を通して頂きます。
12月も近くなったら塩漬けにして冬の間に食べ、春になって菜の花が咲きだしたら摘んでそれを頂きます。
菜の花も終わって鞘の中の種が充実したころ取り込んで3ヶ月後に蒔く種を採ります。
ざっと書いただけですが、暮らしと完全に密着しているのです。
その季節ごとにつくっている人間を楽しませてくれるだけでなく、いのちを支えてくれています。
食べることによってそこの自然とさらに深く繋がることにもなるでしょう。
さらに言うならば、それまでそれをつくってきた先人達の思いや文化まで。
種を採るって重いことだと感じています。
ほんとに重い。
だってこんなにたくさんのものが詰まっているんですから。
だからこそ、今の僕にはこれが必要なのです。
種を通していろんなことと繫がり、生かされている実感を感じる。
今自分が思う豊かな暮らしにはやはり「種」が非常に重要なファクターなのです。
そんな僕の価値観を押し付けるわけではないのですが、
暮らしに密着した種を、
そんな種から生まれた作物を、
まずは食卓で味わって欲しい。
暮らしの食卓で食べてみて欲しいのです。
蒜山耕藝の食卓くどでは、きっとそういうことをやりたかったのです。
植物はその気候風土に合わせてその姿や形は順応し、変わっていきます。
それが自然の、いのちの本質なのだと思います。
人間だってきっと同じ。
突然の変化ではなく、少しづつ順応して。
いきなり悟るのだはなく、少しづつ分かっていって。
それでいいのかなって。
やっと思えてきました。
来年の野菜の大部分の種を一からやり直します。
それもやっと前向きに受け入れることができてきました。
もしかしたらさらに少品種栽培の蒜山耕藝になるかもです。
高谷裕治