味の記憶。

2018年11月2日IMG_3520

 

先のブログを書いた時に絵里香さんとおむすびの話になりました。

今まで食べた中で忘れられないおむすびはあるか?という話題になったのです。
それで気づいたのですが、僕は舌の記憶が決定的に不足しているようで(舌だけじゃないかも)、まったく思いつかなかったのです。
あの時食べたあのおむすびとか、母がいつも握ってくれたあのおむすびとか、そういうの全く思い出せなくて。

でも食べている時はそれはそれは美味しく食べているはずなんですが、すっかり忘れてしまうみたいです。これはおむすびだけではなくて食事全般に言えることで、どうしようもなく刹那的な舌の持ち主みたいです。

自分が薄情みたいな気がしちゃいますが、美味しいものを食べることには貪欲だし、その時その時を充分楽しんでいるから、それはそれで良いのです。。

 

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絵里香さんは僕とは反対に関心するくらい舌の記憶があるようです。(舌以外の記憶力もあるといいのですが。)

 

忘れられないおむすびは、保育園の時に○○ちゃんちで初めて焼きおにぎりを食べて、この世にこんなに美味しいものがあるのか!と驚いた話。

高校生の時に僕の母が鮭のおにぎりを二人に作ってくれたらしいのですが、それが凄まじく美味しかったと。もちろん僕はまったく覚えてません。(だって、20年以上前の話ですよ)

大学生の時に働いていたカフェのオーナーさんが山形に帰省したお土産にオーナーのお母さんが重箱におむすびをたくさん詰めて持って帰ってきたそうです。絵里香さんには握れないという丸いおむすびにたっぷり海苔が巻いてあり、忘れられない程美味しかったと。

 

そんな感じでおむすび以外でも美味しかった記憶はよく覚えているのです。
記憶を元に自分で料理を再現しようとしたり、この能力はくどでも役に立っているようです。

 

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僕は舌の記憶はありませんが、田んぼの記憶は結構自信があります。
数字は覚えられませんが、あそこの田んぼであの瞬間こんなアイデアが浮かんだ!とか、想像以上に元気な稲の姿とか、逆におびただしいほどの虫の食害を受けてる稲の姿とか、コンバインの上から見る稲の姿とか。

そういう記憶は車を運転してたり、夜中に目が覚めた時などに不意に田んぼの記憶が蘇ってきたりします。あとトラクターに乗っている時も鮮明に思いだします。

残念なのはその記憶を具体的に活かしきれていないこと。
そのあたりが先輩農家さんとの大きな違いの一つです。

 

これからは記憶だけに頼らず記録もちゃんとつけること。
今後の課題です。

 

 

 

高谷裕治

 

 

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