喜びと感謝と悔しさを。

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今年の米づくりを先日やっと終えることができました。
去年はイノシシの影響もあったりで思い出すのも辛い状況だったので、今年の収穫はなんだかすごく久しぶりに思えます。

 

そんな今年の収穫は感謝と喜び、そして少しばかりの悔しさを感じるものとなりました。

 

収量としては必要最小限の量は確保はできましたが、予想していたよりも少ない量でした。
僕自身がつくり手として、農家として、米づくりの中で大切にしていることは
「大自然の力が田畑においても最大限に発揮できるように土や自然に寄り添い、そこで頂いた恵みをしっかりと多くの方の食卓へ届けること」です。

 

先にも書いたように今年のお米、特にササニシキについては予想よりも減収という結果になりました。
自然や土は一時も休まずたゆまぬ活動をし、今年の稲もそのいのちを精一杯生きた結果です。
それらには何の不満もなく、むしろ感謝の気持ちしかありません。

 

予想よりも少なかったのは籾が大きくならなかったり、成熟しきれなかった未熟米が多くなったことが原因です。
そういったお米は籾摺りの時に選別されますが、今年はそれが非常に多かったのです。
それはお米としては美味しく食べることができません。

 

せっかく稲が穂をつけたくれたのに成熟した籾にしてあげることができない。
自然の恵みを余すことなく活かしてあげることができない。

 

そのように育てたのは自分自身です。
そのことが自然や稲に対して申し訳なくて悔しいのです。

 

今年はどの地域でも未熟米が多いという話はよく聞きます。
気候的にそういう気候だったと。
でも気候のせいだけではないと思うのです。
なぜならササニシキをつくった田んぼより標高が少し低く、田植えも早くしたヒメノモチは自然栽培4年目の田んぼでも籾は弾ける程に充実し、未熟米もササニシキの10分の1でした。

品種の違いもあるし、標高や日当たりの良し悪しはあるけれど、本質的な原因は自分自身にあると思ってます。
毎年試行錯誤ではなく、本気で全力で、稲や田んぼに向き合っているので後悔はありません。
自然は稲を通して自分への答えを与えてくれますが、自分の中にやり残した感はないので自然からのメッセージがはっきり感じられるようになりました。

 

昨日の夜、乾燥と籾摺りを終えたばかりのササニシキを食べました。
網での選別と色彩選別機を通しても今年のお米には小さいお米や白濁してしまったお米が例年よりも目立ちます。
それが食味どう影響するか、
口に入れた時に感じる生命力はどうなのか。
不安で一杯でしたが、そんな気持ちはお米が一気に吹き飛ばしてくれました。

本当に美味しい。

食べた瞬間に美味しいと思えるし、心にすぅ〜とエネルギーが入ってくるのです。
自然が体の内側に入って、まさに自然と一体となるような。
じんわりと感激しました。
そしてなおさら強く感じるのです。
喜びと感謝と悔しさを。

 

その全てが来年へ向けての糧です。

 

高谷裕治

 

 

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