収穫祭を終えて 祈りのカタチ

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おかげさまで収穫祭を無事終えることができました。

蒜山に来て6年目。 今年で5回目の米づくりを終えることができました。 そして、くどはあと数日で2周年を迎えるところです。

収穫祭というイベントをするのは実は初めてです。
去年もくどは営業していたのですが、まさか自分たちが収穫祭をするなんて思いもしませんでした。

その後いつの事か忘れましたが、堀さんや坂野さん、そしてオカズデザインの吉岡夫妻と食卓を囲んでいる時に「収穫祭をしたいね」なんて話が誰かから出て、「だったらお米、ごはんをメインにしよう」という話になった気がします。

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米づくりに話を戻します。

一年中ずっとお米のことを考えて、春からは毎日田んぼに通って、秋の収穫の後に食べるお米は毎年感慨深いものです。 いつも美味しいと感動はするのですが、自分の中ではやりきれていない部分があったり、乾燥の仕方だったり、どこか心に引っかかるものがあるのでいつも人に食べてもらったり、発送する時は正直不安な気持ちも感じていました。

特に去年は選別ではじかれてしまうくず米が多く、玄米の質もいつもより透明感が少なく感じたので不安を感じていました。 それでもいろんな方からお褒めの言葉を頂き、 再注文をたくさん頂いたのでだいぶ救われました。

5年目となる今年のお米。 初めて食べた時正直驚きました。 収穫してちょっと時間が経ってからの方が美味しいと思っているので、それも考慮しながら食べたのですが、味というよりは全体的な雰囲気の変化にだいぶ驚きました。

お米の好みは千差万別なのであくまでも自分が感じた印象になりますが、まろやかさと透明感が今までにない程強く感じたのです。 肥料や農薬を使わない自然栽培と呼ばれる方法で作物をつくっています。 ここの自然と調和して、ここの自然そのものが一粒の米にぎゅっと入るように、そんな思いで作っています。

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ここ旧中和村というところはとても水がきれいなところです。 水も空気も自然も同じような透明感がある、一言で言えばそんな土地だと思っています。 5年目のお米を食べた時に不意に襲ってきたのががまさにここ中和の透明感だったのです。

今までのお米も本当に美味しかったけど、今年のお米は自分にとって特別です。 やっとここの自然に認められたような。 5年目にしてやっと入り口に立てたんだと思いました。

このタイミングで収穫祭を行うことができた意味を深く考えさせられました。

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今回は堀憲仁さんがご飯にまつわる器をたくさんつくってきてくれました。 彼が仕事初めに1日1つ、目を閉じながらろくろを回し碗を作ります。 その碗が所狭しと並んだ光景を見ると、彼の中にある「生きる」「暮らし」ということのへの誠実さがダイレクトに伝わってきました。 今回の収穫祭では12合でも美味しくたける土鍋を使わせて頂きましたが、炊きたてもさることながら冷えたごはんの粒の状態と甘さに驚きました。

収穫祭でのお料理の会の中では、次のお皿が来るまでの間、堀さんや僕がお話をするという形に自然となっていきました。

毎回は話すことは変わるのですが、彼がとても印象的なことを話したことを覚えています。

「蒜山耕藝は米や野菜を育てる。 僕は手の中で器を育てる。 オカズデザインの2人は育てられた作物だったり、海の幸山の幸を料理として育てあげる。 収穫祭という場はみんなが育てたものが集まって、食べる人も一緒にこの場を育てる。 そんなことを感じたけど、とにかく美味しい料理を美味しく食べて欲しい。」

そんなことを話されていて、心の奥で何かが鳴るのを感じてしまいました。

料理をつくってくれたのはオカズデザインの吉岡夫妻。

「ハレだけどケのような料理」というとても難しいテーマを、無自覚に依頼してしまっていたことをまだ少し反省しています。
限られた材料の中で、一品一品に思いを込めて、一皿一皿に意味を与え、 コース全体にいのちを吹き込んでくれました。
決して舞い上がらせることなく、食べていくうちに素材に意識が向いていくような料理。
料理人として本当に難しいことだったと思います。
自分たちが自然に寄り添おうと思っている以上に、素材に寄り添ってくださる2人の後ろ姿にただただ頭が下がる思いでした。

2人の料理を召し上がるお客様も、目の前にある器も料理もその場の空気もすべてを感じてくださっているようで、堀さんの話していた収穫祭という場を育てあげてくれました。

料理の説明の時にオカズデザインの知さんが何度か「祈りのような料理を」と話していました。

自分の中では「祈り」という言葉はあまり出てきません。 畑や田んぼに行っても感謝や感動はすることはあっても祈ることはしてません。 でも知さんが「祈り」という言葉を発した時にふっと思ったことがありました。

肥料や農薬を使わないので養分的に何かを田畑に投入することはしません。 ただそれだけでは何年にも渡って作物を育て続けることはできないと思います。 物質的には投入はしないけど、気持ちや思いの部分はちゃんと循環するべきなんだと思っています。 実際、美味しい作物は自分がつくりあげているのではなく、そこの自然と作物自身によって美味しくなっているので、美味しいという感動は直に感謝につながります。 その思いが生産者である自分の手足を動かし、田畑に、自然に向かわせるのです。

今の自分にできることは農作物をつくり、それを送るだけではないと思っています。 食べて美味しいと思ってもらうこと、それをしっかりここの自然に伝え、戻してあげること。 それがくどがある意味でもあるし、しっかり気づかせてくれたのが今回の収穫祭です。

「祈りの形」も米の好みと一緒で千差万別でしょう。 自分の中の祈りの形というのは、自然の恵みを美味しく頂き、自分だけじゃなくまわりのみんなの美味しいも一緒に、気持ちと手足を使って自然へと返していくことなんだと思いました。

収穫祭がこんなイベントになるとはまったく思っていませんでした。 堀さんや坂野さん、オカズデザインの吉岡夫妻、豆腐職人の松井さん、くどに来てくださったたくさんのお客様、そして雨が大地をキレイにするようにみんなの心に沁みるギターを演奏してくれた青木隼人さん。 みなさんが育てあげた収穫祭を通してたくさんのことを学びました。 本当にありがとうございました。

まさにこれを糧に来年も穀物に野菜をつくります。 来年も収穫祭ができることを楽しみに、これまた楽しい冬を迎えようと思います。

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高谷裕治




【農民メールより】「田んぼと人」
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