生きる指針

2020年3月27日

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こんなに社会が混乱に陥ったのは自分の人生の中では二度目だ。

一度目は2011年の東日本大震災。
大地震と原発崩壊。
今とは違って身体で感じる強烈な揺れと目に見える地震と津波の激しい爪痕。
そして目に見えない放射能。

捉え方は人それぞれだったけれど、今よりも危機感は共有していたと思う。

自分自身も激しい危機感のもと、今までの価値観と生き方を見直して今の生活に至っている。
その後しばらくすると、当時の危機感は薄れていった。

 

そして今のコロナウイルス。

9年前とは正反対の衝撃。
地震のようなインパクトが無く、まるで低温火傷のように徐々に身体の深いところまで組織を破壊しているように思える。

きっと自分は大丈夫。
対岸の火事。

そうした正常性バイアスが個人の、そして社会の危機意識を削いでいく。
人間の危うさ、この国の脆弱性をこれほどまでに浮き彫りにされたことはない。
ウイルスに対する怖さよりも、国家を含む集団意識の脆さを見て、この先の未来に希望を持ちづらくなっている。

 

そんな状況でも僕らは今を生きなければならない。
明日に、そしてその先の未来のために、今この瞬間を生きていかければならない。

 

いま起きていることから目を背けず、
そこから何を学ぶかを考え、
それを持って行動する。

 

今現在、人によっては籠ることも必要だと思う。
生命が危険にさらされている人を助けるために行動する人もいる。
できることは人によって違う。

 

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僕にできることは種を蒔くことだ。
未来の自分や他の人のために、数ヶ月後に収穫できる種を蒔く。
そして蒔くためには準備もいる。
耕し、畝を作って種を蒔く。
すぐに蒔けるものではない。
今日みたいに雨が降ったら下手したら種播きは一週間後なのだ。
そうしたって、虫や病気で全滅してしまうかもしれない。

でも蒔かぬ種は芽が出ないのだ。

 

9年前に思ったこと。

非合理的なこと
非効率的ばものほど
実のところ効率的で様々なリスクにも強い。

 

それが一般的に正しいかどうかわわからないけれど、僕はそれは今でも間違っていないと思う。
自然の地形や川の形は複雑極まりない。
でも自然には一切の無駄がないとするならば、それが生命を育むという意味において最も合理的かつ効率的な機能を持っているのだと思う。
これからどうなるか本当にわからない。
だからこそ生きる指針といえる軸が必要なのだと思う。
それは人それぞれだけど、田舎で食物生産をしている自分はこういう思いで今も今を生きている。

 

 

高谷裕治

 

 

 

 

 

 




自分という輪郭
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