7月を迎えて
2020年7月4日
3ヶ月前の4月1日に新型コロナウイルスの影響を受けて「くどの休業、その他についてご報告」というブログをアップしました。
そして3ヶ月経った今、これまでの時間を振り返ると共にこの先のことも考えていかなければなりません。
●くどの一時休業
くどをオープンしてからというもの、これほど長く店を休んだことはありません。
休んでみて感じたことは、時間だけでなく自分たちの精神的にも肉体的にもかなりの負担が減ったということです。
特に4月から6月という最も田畑が忙しい時期にくどを休んだことは、今後のことを考える上で良い機会となりました。
とはいえ、自分たちとしてはくどを飲食店というよりも、ここ蒜山・中和の空気を感じてもらう場所、農家の営みを感じてもらう場として大切にしたいと思っているので複雑な気持ちです。
営業の再開についてはまだ決めきれていません。少なくともお盆、もしくは秋以降になると思うし、営業の形も少し変わるかもしれません。
●田畑と周辺環境への時間の拡充
宣言した通り、この3ヶ月の間かなり集中してこのことに時間を使うことができました。
大きなウエイトを占めていたくどの時間をまるっと田畑と周辺環境に費やしています。
天気予報を見ながら今すべき作業を吟味し、何の制約も無くできる自由を謳歌しました。
だからといって今年の作物全てが良くなるわけではないのですが、かなり濃い経験を積むことができました。
先輩方の経験を活かすということも大切だけど、これまでの先入観を捨てて自分でしっかり考え、やりきることでしか得られないものがあるんだと気づくことができました。
(今までの自分は少し試しただけで、すぐに良し悪しの判断をしていたと思います)
これって人生においてとても大切なことですよね。
田畑だけでなく、周辺環境についてもかなり意識が変わりました。
新型コロナウイルスの感染拡大によって社会がぐらついている中で、僕らの暮らしの根本部分は変わることがありませんでした。
水も食べ物も当たり前に目の前にあって困ることはありませんでしたが、その当たり前のものを育んでくれているこの土地の自然に今まで以上に有り難い気持ちが心に生まれてきました。
そんな時にちょうど大地の再生でお世話になっている矢野智徳さんが5月下旬に急に蒜山に立ち寄ってくださることに。
以前、大地の再生講座で工事した現場を見て頂き、日々の手入れが出来ていないとかなり厳しくお叱りを受けました。
たしかにその通りで、山から移植した木の数本はその後、枯れてしまっていました。
矢野さんの言う「目の前で消えそうになっている命に対して精一杯向き合う姿勢」を恥ずかしながら僕は持っていませんでした。
先に自分で書いた「やりきることでしか得られないもの」があるということを矢野さんに改めて教えて頂きました。
田畑においても今は作物は育っているけれど、この農という行為がこの目に見える山や川などの周辺の環境にとってどのような影響を与えているのか。
田畑の土だけを見るのではなくで、この目に見える景色だけでなく、すべてがつながっているという意識を持って農というものをしていきたいと改めて強く思いました。
●農産物や加工品の販売
ありがたいことにたくさんのご注文を頂きました。本当にありがとうございました。
味噌や醤油など基本調味料もたくさん旅立ち、たくさんの食卓に上がっていることを思うとすごく満たされて気持ちになります。
糯(もち)という字がついているのにもちもちしない、岡山勝央町の在来種だと思われる金時糯もあっという間に売り切れました。
金時糯についてはまたブログに書きますが、こういうマニアックな品種にも興味を持ってくれる方がいることがわかってよかったです。ちなみに今年も金時糯は元気に育っています。
そして、亀の尾よりも古い150年前に生まれた亀治というお米でつくる新商品の素米(スライス)も来週出来上がってくる予定です!
●暮らしの見直しと実践
暮らしは変わった、かな?
僕は夜明けと共に目が覚めて外に出ることは以前と変わらないけれど、作業を終える時間はかなり早くなりました。
家の改修などもがっつりしたいのですが、田畑や周辺環境に対してやりたいことがどんどん出てくるので結局時間がありません。
でもどれもやりがいがあることなのでピリピリすることはだいぶ減ったと思います。
これからは作業内容的に田んぼに入ることはできなくなるので、本格的に家の改修をバリバリやっていく予定です。
以上が4月から3ヶ月の間のざっくりとした報告です。
新型コロナウイルスについて、東京で新規感染者が増えているというニュースが連日されています。
人によって捉え方や受け取り方は千差万別ですし、人それぞれ自分自身が思っていることが正しいとも思えます。
そもそも正しい、正しくないという判断すること自体がナンセンスではないかと思ってしまいます。
そう思うと結局のところ「自分はどうやって生きたいのか」「自分の人生を生きる」という問いに行き着いてしまいます。
僕にとってコロナがもたらした最も大きなことはこの2つの問いに向き合わせてくれたことになります。
蒜山はこれからもしばらく雨が続きます。
雨は降れども植物は育つ。
僕も立ち止まってはいられません。
高谷裕治